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2011.10.27

なぜ意思の力はあてにならないのか

仏教、とくに禅あたりでは「身心・・欲望を整える」ことを説きますが、これがじつに困難であろうことは、みなさまもかんたんにご想像がつかれると思います。
そんな中、この刺激的なタイトルの本を手に取り、とてもおもしろく、また示唆に富む内容にうんうんとうなずいておりました。

4757142641 なぜ意志の力はあてにならないのか―自己コントロールの文化史
ダニエル・アクスト 吉田 利子
エヌティティ出版 2011-08-09

by G-Tools

 
著者は心理学者ではなく、ジャーナリスト・エッセイストと紹介されています。その加減か、いろんな実験データを紹介してはいますが、述べているのはそこから得た感想と意見、、という感じで、綿密な論文というものではありません。
しかしながら、古き良き、節度あったアメリカが、どうしてこんなにも悪しき消費社会となってしまったのかを憂い、その理由と対策をまじめに考えてみようという態度の書きようであり、こちらも勉強になりました。
その理由として著者は、経済や技術の繁栄がもたらした豊かさが、元来持っていた私たちの文化や習慣を追い越してしまい、結果「自己コントロール力」を失ってきたことを挙げています。
そしてそのコントロールの喪失とは、今この瞬間が楽しければOKで、そのために起こる将来に、思いが至らないこととも指摘しています。
コントロール力の差は、たとえばIQが変わらないのに学校の成績が違ってきたり、ダラダラとゲームやインターネットから離れられなかったり、といったところに現れてくるそうで。私もヒヤッといたしますね・・。
その対策としては、自分が自分をコントロールできる、、と過信しないことにあるようです。意志の力をあてにせず、悪い習慣をもたらす環境を変え、良い習慣を持てということのようです。
我田引水になってしまって恐縮ですが、、仏教でも、環境を整えることを重視していると思います。また、自分を過信せず、いつも冷静に見ていられるようにすることも、禅に近い態度であろうと思いますね。

Comment & Trackback

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> 管理人様
最近、禅に於ける因果否定論を学ぶ機会があったのですが、何となく近代以降の禅は、その傾向が強く、結果的に、刹那的な快楽の追求を、否定する論理を失った感があります。
拙僧などは、やはり、過去を想い未来を想い、その上で現在を生きるという仏教本来の生き方を模索すべきであろうと考えています。

tenjin95さんありがとうございます
スミマセン、レスをすっかり飛ばしていました・・。
因果とはじつに宗教的なもので、なかなか計り知れない力があるのでしょうね。
そういう意味では、あまりに現在重視なとらえ方は、間違いだと言えるのでしょうか。いつも有意義なご教示ありがとうございます。