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プチ修行

4344409868プチ修行 (幻冬舎文庫)
小栗 左多里
幻冬舎 2007-08

by G-Tools

『ダーリンは外国人』でおなじみの漫画家、小栗左多里(おぐりさおり)さんが、何となく「足りてない」と感じる自分を見つめ直し、何ごとにも動じない幸せな人間になりたい・・と思って、いろんな「修行体験」をしてはレポする、という企画の本です。

行かれたのは、(ヴィッパナサー)瞑想、写経、坐禅(臨済も曹洞も)、滝行、断食、四国遍路、、そして(これは修行というより精神療法でしょうか)内観。
みずから信用できそうなところを迷いながら探し、ときに友人と、ときにお一人で、まさに体当たりして感じたことを、忌憚のない意見とともに書かれているのです。ホントに坊さんになるにも、「師を探す」ことの重要さが言われますが、こういう「プチ体験」でも、探すという最初の敷居は高いんだろうな・・と思ってしまいますね。


さまざまなプチ修行をへた小栗さんは、「多くの修行は雑念を払うことに命をかけている」と見て、どちらかというとそれに疑問を投げかけています。雑念を払うことで感情の起伏をフラットにすることが、幸せと言えるのだろうか、、という問いです。
これはたしかに、入門のさわりだけとはいえ、初めてこういうことを体験される人には、もっともな疑問でしょうね。私も、もし坊さんでなければきっとそう思うでしょう。

そこへの答えになるかわかりませんが、道元禅師は「菩提心(ぼだいしん-たとえば修行しようと思う決意)」は、「無常(むじょう-たとえば自分が年老い死んでしまう恐怖)」がもとになっていると教えておられます。
「無常」とは、もう雑念があろうがなかろうが、感情がフラットであろうがなかろうが、有無を言わせずついてまわることです。それは、日常の感情コントロールだけではとてもカバーできない、苦悩を生むこともあります。そんなときに初めて、なぜ修行するのかがわかるのかな。。。

修行はもちろん我慢くらべや、つらい体験の競争ではありません。修行、、って言っちゃうと大上段ですけど、結局のトコロそれは日常をどういう意識で過ごすか、、ですからね。
その点について、小栗さんは、「幸せは、どんな場所にいても幸せだと思えるかどうか」にかかり、それは「感謝する心」なのだと見て、修行はそこに気づかせてくれる、、と書かれています。
ああ、私自身もここはもっともっと突っ込んで、深めていきたいところですわ。なぜ、感謝できるのかわかれば、さらに幸せな時間をおくれるような気がします。


じゃあみんなでプチ修行して、こーんなエヴリデイを過ごしましょうか。そうそう、人生はワインディング・ロードなのよね。

1:20ころ、洗剤が扇風機に垂れてシャボン玉になるシーンがかわいいデス(笑)

コメント:4

tenjin95 2008年11月27日 00:15

> 管理人様

プチ修行って、一時流行った気がするのですが、今でもやっている人多いんですかね・・・

NONNON 2008年11月27日 15:00

近所のお寺では、週イチで朝6時から「座禅の会」ってあるみたいですよ。継続してされているかたもいるのかな~
プチといっても修行となると気合いが要りそう。

わたしは朝と夕、ご先祖さんに手を合わせるというのが
日常に溶け込んだ「修行」もどき?と思ってやってますが。

雑念は入りますね。俗人ですから~
やっぱり「もどき」ですなぁ。

shosen 2008年11月28日 21:09

tenjin95さんありがとうございます
「プチ」という言葉も、最近聞かなくなったような気がしますね。
プチ修行、受け入れる方も大変だろうなあ、、と心配します(笑)

shosen 2008年11月28日 21:13

NONNONさんありがとうございます
ははー、週イチでも坐禅会やってらっしゃるなんて、頭が下がりますわ。
雑念なんて入って当たり前ですよ。入ったら、流してしまえばいいのです、、って、言葉で言うのはかんたんですが(笑)

いや、「もどき」というか、真似し続けるのがいいんですよ。亡くなった宮崎禅師もおっしゃってましたけど、「マネも一生続けたらホンモノになる」んですから!

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