欲望を欲望と見られる?
- 仏教のこと
- 2008年12月 8日 22:17
「欲望」と「向上心」の根っこはいっしょだと思いますが、どちらかというと欲望はマイナスに、向上心はプラスに見られますよね。
いったい、その境目はどこなんだろうなぁ、、とも思うのですが、自分のことを省みるとナカナカ心許ないものです。他人の評価にゆだねた方がいいのかなぁ、、とも思ったり。となると、明らかに周囲に悪影響、というか迷惑を及ぼすようなものは、本人がいくら良い向上心だと考えていても、そうは取ってもらえないでしょう。「孤高」と「独善」の境目も、このあたりにあるのかな。
現在、NHK「こころの時代」で、道元禅師について講義されている角田泰隆駒澤大教授によると、「過度な欲求がなくなった状態、また、その状態へ自分を導ける力」が「仏教で言うさとりをかんたんに言ったもの」だということです。自分への「眼力」が強まれば、そういう状態に近づいていけるのでしょう。
言うなれば、自分の目で、自分を過不足なく見られる。自分のこの思いが、向上心なのか欲望なのか、見分けがついている。欲望を欲望と、ちゃんと認識できている、、ということかな。
また、角田先生はさとりには2通りあるともおっしゃってます。
ひとつは、修行によって何らかの体験を得て、もう欲望に振り回されないという確信を持つこと。
もうひとつは、その確信をもとに、欲望に振り回されないように暮らす生きざま。
おそらく世に尊敬される宗教者というのは、その体験に裏打ちされた生きざまによって人の心を打つのでしょう。
文にするとわかりやすいかも知れませんが、そういう境涯に至るのがどれだけかんたんではないことか、日々生きておられる皆さんにはご想像いただけるのではないかと思います。「過度な欲求をなくす」ことは、けっして不可能ではありませんが、毎日毎日気をつけていないと、すぐに絡めとられてしまう、、わけですね。。
今日は、お釈迦さまがその境涯を完成させ、もう退くことがない、、という確信を得られた日です。「成道会(じょうどうえ)」といいます。
![]() | 道元のことば~「正法眼蔵随聞記」にきく 下 (3) (NHKシリーズ NHKこころの時代) 角田 泰隆 by G-Tools |
↑ 角田先生のテキスト。道元禅師の説法聞き書きである『正法眼蔵随聞記』についてのお話しです。
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