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興聖寺法要に行ったハナシ

お寺も家系といっしょで、分家分家で増えてきた歴史があります。
本家を「本寺(ほんじ)」、分家を「末寺(まつじ)」と言います。

住んでる寺の本寺は京都府宇治市にある興聖寺(こうしょうじ-こちらとかこちら)というところです。

ここは、道元禅師が日本で初めて開かれた、曹洞宗の道場です。禅師の当時は今よりずっと北、京都市の深草というところにあったようです。
ところが、映画『ZEN』でも出ていたように、禅師は京都を逃れ福井に移り、その後の興聖寺は寂れていってしまったのです。

それから400年ほど経った江戸時代初期、淀藩の初代藩主・永井尚政(ながいなおまさ)が、自身の領内でそういう歴史があったことを知り、興聖寺を現在の地に再興されました。伏見城の遺構も使われ、血染めの天上や鶯張りの廊下が今も残っています。また、住職には当時名が高かったらしい、萬安英種(ばんなんえいしゅ)老師が招かれました。
そういうわけで、現在の興聖寺では、永井公を開基とし、萬安老師は中興の祖としてご開山(初代住職-ここでは道元禅師)なみの扱いで敬意を表しているのです。

 
という長い前振りでしたが、、スミマセン、以下も曹洞宗関連の方か、リアルの私をよくご存じの方向けになっちゃいます・・


興聖寺では、昨日から明日にかけての3日間、御征忌(ごしょうき)という行事が行われています。
ご開山と、中興のご法事ですね。昨日が中興の逮夜(たいや-イヴですね)、今日が中興の正当(しょうとう-法事の本番)法要とご開山の逮夜、明日がご開山の正当法要です。
これは毎年あるのですが、末寺住職である師匠はもちろんずっと出席、私は行ったり行かなかったり、、と中途半端なことでした。

ところが今日は久々に随喜(ずいき-法要参拝)を。
というのは、中興萬安大和尚の正当法要の導師を、堂長(どうちょう-道場の住職をとくにこう言う)老師の代理で師匠が勤めました。なので私は、師匠の侍者(じしゃ)として法要中後ろにつき、お線香やお供えものや香語を差し出したりしていたわけなのです。

さらにもうひとつ、じつは今年いっぱいで師匠が住んでる寺の住職を引退し、私と交代することになりました。そこで、本寺堂長老師に、その旨の前振りご挨拶もかねて伺ったわけなのです。

じつは興聖寺というところは、私にとっては子どものころからよく出入りした、、んーと、、坊さんとしての原点みたいなところです。大人になっても、曹洞宗青年会の坐禅会でお世話になりました。
あわせて堂長老師にも、子どものころからかわいがっていただきました。厳しいけど、若い人が大好きな、敬愛する方なんですよね。

 
まぁ住職交代っつうのがあったりして、私もちょっとナーバス(笑)だったのか、そんな感慨にふけりながらの随喜でありました。  はー、、とため息ついておきます。。

コメント:4

tenjin95 2009年9月27日 21:29

> 管理人様

万安和尚ですが、面白い遺訓を残されていますね。
「双住持制」といって、今の我々に見るような副住職制に近いのですが、2人の住持を置いておくというものです。当時、様々に多様化していた寺院のあり方に対応するべく考え出されたものでしょう。

万安禅師は、実際に江戸時代の様々な復古運動の淵源に位置した方です。その意味で、拙僧自身も非常に注目している方であります。

青龍寺和尚 2009年9月28日 06:01

ほう〜と読ませて頂きました。

で、重要なお役に…ご苦労様です。

shosen 2009年9月28日 18:00

tenjin95さんありがとうございます
「双住持制」は、そういえば何となく聞いたことがあるように思います。
じっさいには、うまくいく場合といかない場合とに分かれてしまうのかもしれませんね。

住んでる寺のご開山でもあるので、もっと知りたいですね。興聖寺の歴住さんや、関係の和尚さんには、わりと復古運動に関わった方が多いのかな。

shosen 2009年9月28日 18:01

青龍寺和尚さんありがとうございます
いや、ちょっとヘタレも入っててお恥ずかしいです。。

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