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曹洞宗両祖忌です

今日は曹洞宗のたいせつな日。両祖と仰ぐ、道元禅師と瑩山(けいざん)禅師のご命日であります。

道元禅師は鎌倉時代初期のひと
曹洞宗を日本に伝え、大本山永平寺をお開きになり、『正法眼蔵』という書物をお書きになった、、

瑩山禅師は鎌倉時代後期のひと
曹洞宗が日本に広まる基礎を築かれ、大本山總持寺をお開きになり、『伝光録』という書物をお書きになった、、

として知られます。いずれも、お釈迦さまの教えを、正しく体得されお伝えになったことに違いはありません。
そのおかげで、私たちも、その時代の中で「いかにすれば、力強く、しかも安らぎに満ちて生きられるか」ということを探すことができます。

どうかみなさまには、それが毎日の、あたりまえの日常にあることがお気づきになれますように。
疑いと不安の中にあるとき、伝わってきたお釈迦さまの教えが、その道を照らす明かりとなりますように。

コメント:4

tenjin95 2009年9月30日 08:07

> 管理人様

トラバありがとうございました。
昨日、コメントしようと思っていましたが、投稿しそびれましたので、一日遅れの投稿になります。

両祖さまを今の状況から類推して比べてみますと、何だか全然別の人、という感じがしますが、実際には道元禅師が御遷化されてからわずか20年後の永平寺に、瑩山禅師は沙弥として入っています。そう考えますと、決して遠くはないはずです。むしろ、今でも道場で「20年前」のことを語る人がいるはずですが、それくらい、またはそれ以上の「リアルさ」を持って、瑩山禅師は道元禅師に慕古の心を感じておられたのでは?と思っています。

shosen 2009年9月30日 22:32

tenjin95さんありがとうございます
なるほど、それはまさにおっしゃるとおりですよね。
瑩山禅師は、直接懐弉禅師や義介禅師の薫陶を受けていたわけですから、そこにおられるがごとくに道元禅師の姿をお感じになっていたことは、容易に想像できます。
『ZEN』でも出てきますが、当時の永平寺はどういう建物の雰囲気だったのか見てみたいなあ。

tenjin95 2009年10月 1日 07:43

> 管理人様

瑩山禅師が当時の永平寺について残しておられる言葉は、次の通りです。

志比の莊の中に、深山を開き、荊蕀を払ふて茅茨を葺き、土木を拽きて、祖道を開演す。今の永平寺是なり。 『伝光録』第51章

今のような瓦屋根の大伽藍という感じではなかったことは明らかでしょうね、むしろ、手作り感満載です。

shosen 2009年10月 1日 23:20

tenjin95さん
おお、ふたたびご親切にありがとうございます!

「深山を開き、荊蕀を払ふて」というくだりが、当時のご苦労を思わせますね。
ほんとうに感謝感謝です・・。

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